西新宿再開発〜2022年から見た過去と未来〜

西新宿の過去

西新宿のビル群は、淀橋浄水場というかつては水をつくる工場でした。西新宿の過去の話では、淀橋浄水場ができるまでの話と淀橋浄水場が廃止されて新宿副都心として開発される際の2つの話をしていきたいと思います。

【1893年】淀橋浄水場の誕生(坪単価86銭!?)

淀橋浄水場ができるまでの明治時代、きれいな水確保が簡単ではありませんでした。東京の人たちの水確保の方法は下記の3つの方法でした。

  • 玉川上水・神田上水を利用する人たち
  • 上水の水や良質の井戸水を担いで売り歩く「水屋」から買い求める人たち
  • 自前の井戸を持ちそれを利用する人たち

江戸が東京になり近代国家へと進む中で、玉川上水・神田上水は水質問題をさらけだしていました。そこで、水道改良のため淀橋に浄水場を作ることとなりました。1892年(明治25年)から1893年(明治26年)にかけて東京市は淀橋浄水場予定地の地権者と交渉の末、用地買収を完了します。

  • 淀橋町敷地費は、七万七千九百五十九円五十銭二厘。買収坪数は、九万六百五十八坪。平均単価は坪当たり八十六銭(㎡二十六銭)となっています。

当時の記録によると、地権者との厳しい交渉と話が出てくるが用地買収にかかっているのは約1年です。これは、上手くいったのか、強引だったのか分かりませんが、早期に買収が完了したことはわかります。また、買収土地価格は、坪単価86銭ということです。お金の価値が今の時代と違うので比較できるものではないのでしょうが、やはり安いと感じてしまいますね。

【1965年】新宿副都心と淀橋浄水場跡地売却(坪単価100万円台!?)

1958年(昭和33年)首都圏整備計画が策定し、新宿・渋谷・池袋の3地区が副都心として定められます。1960年(昭和35年)には新宿副都心計画の計画決定となりました。

新宿副都心計画の概要
  1. 千代田区・港区・中央区の都心3区に集中した都市機能を分散・緩和することを目的とし、新宿地区にビジネスセンターとして副都心を建設する
  2. 甲州街道、青梅街道、十二社通りに囲まれた総面積96ヘクタールの区域を開発の対象とする
  3. 淀橋浄水場跡地を中心とする約56ヘクタールの区域は、緊急に整備をする
  4. 街路、公園、広場等の公共施設及び事業用地の造成を東京都と新宿副都心建設公社の2者で実施する。

西新宿のエリアでは、淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものでした。

淀橋浄水場跡地の売却は、入札形式にて行われます。区画は、上記写真の「新宿副都心計画及び事業区域図」の通りです。1番街区から11番街区まで区分けされ、①~⑤は残地部分です。

昭和40年に第1回目の入札が行われます。しかし、この入札は不調に終わります。理由は、1つは昭和40年という年は不況の年でもあったようです。2つ目は、1区画が1万2000㎡~1万9000㎡え分割売りはしない(区画が大きい)こと。3つ目は、建物は事務所・店舗といった業務施設に限り、倉庫はダメなど条件をつけていることが響いたと見られていました。

昭和42年に第2回目の入札が行われます。1回目の入札不調の結果をえて、①建築条件を緩和したこと②1街区の二分割を実施しました。10番街区・11番街区が落札されました。淀橋浄水場跡地は1街区になっているのが原則ですが、11番街区(現損害保険ジャパンビル、新宿野村ビル)が分割されているのは、こういった理由があったようです。

昭和43年に第3回目の入札が行われます。2回目の入札の時期頃から「いざなぎ景気」と言われる好景気により街区売却も順調に進んでいきます。6番街区・7番街区・8番街区・9番街区が落札されました。その後、昭和44年に第4回目の入札で2番街区、第5回目の入札で3ー1番街区が落札されます。

上記写真に「淀橋浄水場跡地売却内訳」があります。売却先や契約月日、金額、売却単価はふせていますが、入札当初で坪単価100万円前後から入札の終盤で坪単価300万円前後だったようです。

  • 1965年前後(昭和40年代):坪単価100万~150万
  • 2022年(令和4年):坪単価4200万(R4年 新宿5-9 公示地価を参考)

単純に比較はできませんが、約25倍~30倍程度になっています。

参考文献:「西新宿物語~淀橋浄水場から再開発事業まで~」日本水道新聞社、「新宿学」紀伊国屋書店、「新宿・街づくり物語 誕生から新都心まで300年」鹿島出版会より

【2022年】旧淀橋浄水場跡地の名残

現在も淀橋浄水場跡地の名残が残っている場所がありますので、紹介していきたいと思います。ちなみに淀橋と言えば、ヨドバシカメラですが、こちらは写真を忘れてしまいました。。。

1つ目は、新宿エルタワー(新宿区西新宿1丁目6)の街区の西側にあります。この街区は、ナガセ西新宿ビルと新宿エルタワーからなっていますが、気づいたことがあります。上記「新宿副都心計画及び事業区域図」の水道局の残地①はナガセ西新宿ビルとこの「淀橋浄水場跡」ではないかと感じました。それは、上記2022年現地写真①の二等辺三角形のような区画に設置されているように見えるからです。どうなんでしょうか。

淀橋浄水場跡の碑には以下のように記載があります。

この地は明治31年東京水道の創設時から昭和40年までの67年間首都給水施設の中心であった淀橋浄水場の正門あとです。浄水場の総面積は34万500平方メートルでいまは新宿中央公園と11の近代的街区に生まれ変わっています。昭和45年3月東京水道局

淀橋浄水場跡の碑より

2つ目は、新宿住友ビル(新宿区西新宿2丁目6番1)の建物1階にあります。旧淀橋浄水場蝶型弁です。当時使用されていた配水バルブのようです。

首都東京、この大都市の発展のかげには、古くからその生活をささえる水野確保に大変な努力がはらわれてきた。すでに300年前の江戸時代初期(1654年)ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため、玉川上水が開かれ、江戸からおおよそ50キロメートルも離れた羽村から玉川の水が市中に引かれた。時は変わって明治となり、首都が東京に移されるや、発展する都市に不可欠な近代水道の建設が急務となった。そして、明治23年(1890年)、ここ旧東京府南豊島群淀橋町に34万平方メートルの敷地を求め、玉川上水によって導かれた多摩川の水をここで沈でん、ろ過のうえ、200万人の市民に上水を供給できるという、当時としては、画期的な規模の淀橋浄水場が建設されることになった。

明治31年その一部が完成し、神田、日本橋地区へ給水が開始され、ここに東京の近代水道が誕生した。以後、明治、大正、昭和と東京の歴史と共に歩み続けた淀橋浄水場は、昭和40年(1965年)東村山浄水場にバトンを渡し、給水開始以来60数年の歴史を閉じ、その跡地は、新たしい東京の象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変わることとなった。

ここに展示されているものは、内径1000ミリメートル蝶型弁といい、かつて淀橋浄水場で使用されていたものである。東京は、今、この超高層ビルの街が省庁するように、ますます発展しようとしている。そして、この大都市が必要とする水を遠く遥か200キロメートルも離れた利根川上流にまで求めている。ここに展示された蝶型弁から、かつてここに都民の水まかなうため、満々と水をたたえた浄水場のあったことを、想いおもしていただき、あわせて大都市における水がいかに大切なものであり、またその確保が大変困難なものであることをご認識いただければ、はなはな幸いです。1974.4 元東京水道局長 元淀橋浄水場長

東京水道発祥の地より

3つ目は、新宿中央公園(新宿区西新宿2丁目7-1)の淀橋浄水場の煉瓦のモニュメントです。英語の記載です。英語は得意ではないので、写真を撮り家に帰ってゆっくりと翻訳を使って読んでみました。ちなみにSHUKNOVAとは、新宿中央公園交流拠点施設で、カフェ・レストラン・アウトドアフィットネスクラブが入っています。

Yodobashi Water Purification Plant, the birthplace of modern water supply systems in Japan, stood here from 1898 to 1965. The site has been redeveloped into one of the leading business districts in Japan, with skyscrapers and a beautiful park.

This monument commemorates the history of the site, with bricks representing its historical heritage and the glass object representing memory of the water purified here.

And at this very site, SHUKNOVA was built with the surrounding nature in mind, connecting the past heritage with a bright future.

(google翻訳)

1898年から1965年まで、日本の近代的な水道システムの発祥の地である淀橋上水道がありました。この場所は、高層ビルと美しい公園を備えた日本有数のビジネス街に再開発されました。このモニュメントは、歴史的遺産を表す煉瓦と、ここで浄化された水野記憶を表すガラスのオブジェで、サイトの歴史を記念しています。そして、まさにこの場所に、周囲の自然を念頭に置き、過去の遺産と明るい未来をつなぐSHUKNOVAが建てられました。

4つ目は、同じく新宿中央公園内にある旧淀橋浄水場六角堂です。当時の淀橋上水道を訪れた見学者は、ここから場内を眺めながら説明を受けたり、休憩をしていたようです。

六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられています。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場があった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿の地域文化財に認定されました。

旧淀橋浄水場六角堂より

新宿グランドターミナル構想

新宿グランドターミナル構想とは?意味は?

新宿グランドターミナル・デザインポリシー 2021より

東京都と新宿区は、新宿駅周辺地域のまちづくりの方向性について「新宿の新たなまちづくり~2040年代の新宿の拠点づくり~」(2017年6月)と「新宿の拠点再整備方針~新宿グランドターミナルの一体的な再編~」(2018年3月)を策定しました。主な内容は、以下の通りです。

  • 東西のまちをつなぐデッキを線路上空に新設線路上空に東西デッキを新設し、地下の東西自由通路と共に、東西骨格軸を形成。線路上空の東西デッキに繋がるJR・小田急線改札を新設。
  • 東西骨格軸となる道路を歩行者優先の空間に再編:新宿通りの歩行者優先化に向けた取組を推進。4号街路(地上・地下)や新宿通り、中央通り(駅街路8号)の道路空間を再編し、歩行者空間を拡大。
  • グランドターミナル化を一体化するターミナル軸を構築し、まちとつなぐ西武新宿駅とJR・丸の内線との乗換経路を拡充。バスタ新宿と小田急・京王・都営各線との乗換経路を拡充。ターミナル軸の結節点にターミナルシャフト(バリアフリーの縦動線)を配置。ターミナル軸からまちへとつながる歩行者ネットワークを構築。
  • グランドターミナルの人の流れを整える:JR・小田急・京王各線の乗換経路を線路上空に新設。京王線ホームを丸の内側に移動させ、ホーム界に改札を新設

新宿グランドターミナル構想はいつ?

新宿の拠点再整備方針(案)に関する意見募集によると、グランドターミナル構想は、2040年代の完成を想定しているという記述があります。また、以下の「新宿駅西口駅前広場における工事について 新宿駅直近地区土地区画整理事業」の概略スケジュールを見ると東西デッキについては、2046年度(令和28年度)に事業完了を目指していることがわかります。

「新宿駅西口駅前広場における工事について 新宿駅直近地区土地区画整理事業」より

新宿西口の再開発

新宿副都心として開発されてから50年以上が経過し、新宿西口は建替え・再開発の話が多くなってきています。一部についてその内容に触れていきたいと思います。

【再開発】小田急百貨店新宿 建替え

新宿西口にある小田急百貨店新宿店本館は、2022年10月2日が最終営業日となります。建替えの事業主は、小田急電鉄株式会社、東京地下鉄株式会社、東急不動産株式会社(予定)となっております。敷地面積は約15,720㎡、主要用途は商業、業務、駅施設等で地上48階、地下5階建ての建物です。

2022年時点の小田急百貨店、HALCは上記の通りです。再開発による建て替えは、2022年度10月に着工、2029年度に竣工予定となっています。

【再開発】京王百貨店新宿店・ルミネ1 西南口の開発

新宿西口にある京王百貨店新宿店・ルミネ1は超高層ビルの開発予定となっています。事業主は、京王百貨店を運営する京王電鉄とルミネを運営する東日本となっています。北街区・南が行くを合わせた全体で敷地面積約16,300㎡、主要用途は店舗、宿泊施設、事務所、駐車場等となっており、北街区が地上19階建て地下3階、南街区が地上37階建て地下6階の建物です。

新宿駅西南口地区の開発計画についてより

計画では、東西南北の重層的な歩行者ネットワークの整備を予定しています。

  1. 北街区と南街区の間には甲州街道がはしっていますが、ここを国道デッキとして歩行者ネットワークの整備を行う予定としています。
  2. 南街区建物内を貫通し、新宿サザンテラス・バスタ新宿方面に往来できる歩行者ネットワークを整備する予定としています。

2022年時点の京王百貨店は上記の通りです。北街区は2040年代までに完成目標、南街区は2023年度に着工し2028年度に竣工予定となっています。

【市街地再開発事業】西新宿三丁目西地区で野村不動産

西新宿三丁目西地区で、日本の分譲マンションにおける「最高層235m」「最高階数65階」「最大級規模約3200戸」のプロジェクトが発表されています。事業主は、野村不動産株式会社、住友商事株式会社、東京建物株式会社、一般財団法人首都圏不燃建設公社、前田建設工業株式会社です。プロジェクトは、第一種市街地再開発事業で2022年度着工予定、2029年度竣工を目指しています。

この事業は、細い道路が多く老朽化した木造家屋の密集地解消を目指し、1993年に再開発研究会が設立されたことに起因します。その後、2001年に本準備組合が設立され、リーマンショック・東日本大震災を経て、計画案の見直しを行いつつ、開発計画が進められてきています。

【防災街区整備事業】住友不動産西新宿5丁目プロジェクト

西新宿五丁目北地区防災街区整備事業についてより

本地区は、老朽化した中高層建築物や木造住宅が多く、西新宿五丁目北地区防災街区と指定されています。事業主は住友不動産です。A街区は賃貸マンション・事務所ビル、B街区は分譲マンションとなっています。現在、インターネットで調べるとA区画の賃貸マンションは(仮称)ラ・トゥール西新宿五丁目プロジェクトで賃貸マンションの概要が出てきます。B区画の分譲マンションは(仮称)西新宿五丁目ヨドバシ複合開発タワーマンションプロジェクトとして概要が出てきます。

プロジェクトは、2018年(平成30年)に工事着工し、2021年(令和3年)に竣工予定でしたが、完成予定が2023年1月に変更になり、計画は少し伸びているのかもしれません。

ここから20年超をかけた新宿駅のグランドターミナル構想と再開発、今後の新宿に注目です。