【2023年】京成高砂駅北口再開発

京成高砂駅北口再開発

京成高砂の歴史

京成高砂にはじめて電車が通ったのは、1912年(大正元年)になります。当時は曲金駅(まがりかねえき)という駅名でしたが、翌年に高砂駅に変更となりました。そして、1931年(昭和6年)に青砥~日暮里間が開通して、駅名が現在の京成高砂駅になりました。1960年(昭和35年)には都営地下鉄と繋がり都心部への交通アクセスが便利になりました。

今日のテーマは、京成高砂駅北口再開発についてですが、京成高砂駅の踏切(高架)と京成高砂車庫移転の話にも触れていきたいと思います。

京成高砂駅前の再開発の場所は!?

京成高砂駅前再開発準備会の対象範囲は、京成高砂駅の北側部分になります。面積にして約1haです。

【2023年】京成高砂駅前の現状

左の写真は、京成高砂駅北口です。真ん中と右の写真は北側に移動していった現場になります。

該当するエリアには、スーパーマーケットのセルカ、パチンコ店二楽、郵便局があります。

また、大型の駐車場や古い建物など多種多少な不動産が並びます。現時点で現場を見てもいつ再開発が始まるか全くわからない状況ですね。

現地写真は2023年6月に撮影したものになります。

京成高砂駅北口再開発の概要

京成高砂駅北口再開発は計画段階です。あくまで現時点の想定で、具体的な計画が決まっているわけではありません。その中で、住宅を中心とした高層ビルが1棟、商業施設が入る低層ビルが1棟、2棟の建物の間に駅前広場を整備する計画となっています。

立ち寄りたくなる魅力ある高砂駅前の顔づくり
  • アクセス性の良さをいかす魅力的な施設や住宅
  • 交通結節点の機能に加え人が集い・賑わう駅前広場
  • 駅前・商店街・高架下空間等が連携し、利便性・快適性を備えた駅まち空間
  • 災害にも強い安全安心な駅前づくり

出典:葛飾区HPより

京成高砂駅の踏切は開かない!?

京成高砂駅には多くの電車が走っているため、駅周辺には長時間開かない踏切があります。車の利用者だけでなく、歩行者にとっても不便で、交通渋滞も多く発生しています。この問題を解決すべく、鉄道の立体交差が進んでいます。

具体的に、どれくらい開かずの踏切なのかというと京成高砂駅から江戸川駅までの約3.4kmの区間に、ピーク時の踏切遮断時間が1時間の内50分以上にもなっています。高砂周辺では南北の地域分断や踏切がもたらす渋滞が問題となっています。この連続立体交差事業によって解消される踏切の数は13か所です。

なぜ、京成高砂車庫移転の話が出ているのか!?

京成高砂車庫移転の話が出ています。なぜ、京成高砂車庫移転の話が出ているのでしょうか。京成高砂駅は連続立体交差事業の着工準備段階になっていますが、京成高砂駅の東側に位置する高砂車庫が連立事業の実施する課題となっています。

そこで、葛飾区は2020年に「高砂駅周辺地区まちづくりガイドプラン」で、高砂4丁目地区への高砂車庫の移転を盛り込んで実現に向けて取り組んでいます。

京成高砂駅北口の価格の推移(路線価)

ここでは、京成高砂駅北口の路線価価格推移を見ていきたいと思います。

平成28年~令和2年までの5年間の価格推移は、右肩上がりのグラフとなっていますが、令和2年から令和3年にかけての1年間は下落しています。