ザハ・ハディッドの新国立競技場計画が白紙撤回された理由とは?

ザハ・ハディッド新国立競技場とは?

ザハ・ハディッドとは!?

ザハ・ハディド氏は、英国ロンドンを拠点に活躍した女性建築家です。1950年イラク・バグダッド生まれ。曲線、直線、鋭角が織りなす流動的でダイナミックやデザインで知られます。かつては建てた建築よりも実現しなかったプロジェクトの方が有名と言われたこともありましたが、実績を重ね2004年にプリツカー賞を受賞。09年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。12年ロンドン五輪では水泳競技施設アクアティクスセンターを設計しています。

なぜ新国立競技場は建替えとなったのか?

旧国立競技場(正式名称:国立霞ヶ丘競技場)は、1964年の東京オリンピックのメイン会場として建設されましたが、時間の経過とともに建物の老朽化が進んでいました。

当初は改修案で進んでいましたが、「老朽化」以外にも「ホスピタリティ」「天井の低さ」「メディアセンターがない」などの問題があり、2019年ラグビーワールドカップ8万人規模の再整備は改修で行うのは不可能と判断され、全面的な建替えに決定しました。

【年表】新国立競技場における主な出来事

  • 2011年2月:ラグビーワールドカップ2019年 決議
  • 2012年11月:新国立競技場の国際デザインコンペティションが実施され、ザハ・ハディッドのデザイン案が選ばれる。
  • 2013年9月:国際オリンピック委員会(IOC)が2020年の夏季オリンピック開催地を東京に決定。
  • 2014年:7月に新国立競技場の建設費が予算を大幅に超過することが明らかになり、建設費削減のために設計の見直しが検討され始める。12月に建設費の高騰に関する議論が続き、コスト削減のためにデザインの一部が修正される。
  • 2015年7月:ザハ・ハディッドのデザイン案が白紙撤回
  • 2015年12月:新しいデザイン案として、隈研吾と大成建設の共同提案が選ばれる。
  • 2019年5月:新国立競技場の建設が完了。

ザハ・ハディッド新国立競技場が選ばれた理由

ザハ・ハディッドがデザイン案で選ばれた背景

  1. 革新性と独自のデザイン: ザハ・ハディッドは、その流線形と有機的なデザインで知られており、従来の建築概念を超えた斬新な作品を生み出してきました。デザインは、未来的で大胆なビジョンを持ち、国際的に高く評価されていました。新国立競技場のデザインコンペティションにおいても、ハディッドの提案は他の案と比べて際立っており、日本の新しい象徴となり得る独自性を持っていました。
  2. 国際的な評価と実績: ザハ・ハディッドは、建築界の最高峰であるプリツカー賞を受賞しており、数多くの著名なプロジェクトを手掛けてきました。彼女の実績と国際的な名声が、選考委員会に強い印象を与えました。日本政府と関係者は、彼女のデザインが世界的に注目されることを期待して、選定に踏み切ったと言えます。
  3. オリンピックの象徴としての期待: 2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場は、日本の建築技術と文化を世界に示す重要なシンボルでした。ザハ・ハディッドのデザインは、未来志向でありつつ、巨大で象徴的な構造物として、日本の先進性と国際性を象徴するのにふさわしいと判断されました。決め手は、「社会に対するメッセージ性」と「新時代のシンボル性」の強さでした。

「この建築をつくりあげる技術は難しい。日本の土木技術、建築技術は世界最高だ。スケジュールを管理できる。品質を保証できる。つくりあげることで、日本の技術力などを含め、レベルの高い国だとアピールできる。」

「これから100年、弧の建築が世界のスポーツの殿堂になるのではないか。」

「スポーツにとって一番重要な臨場感がある。内部空間の祝祭性が魅力的だ。建築技術、材料技術、構造、経済性も鑑みて最優秀とした。」

2012年11月15日 審査委員長 安藤忠雄氏記者会見より

なぜ、ザハ・ハディッドの新国立競技場案が白紙撤回されたのか?

白紙撤回の主な3つの理由 

①コストについて
  • 2012年11月の国際デザイン協議では、工事費の目安が1300億円でした。しかし東京オリンピックが決まると建築費が急に跳ね上がることになります。その金額は2520億円。主な要因は建築資材・労務費の高騰・新国立競技場の特殊性・消費税引き上げがあげられている。
  • ザハ事務所は、「工事費の増加はデザインが原因ではなく、東京における工事費の急騰にある。」と説明しています。
②技術的問題について
  • 建築としての技術的な問題として、ザハ案のロングスパンキールアーチの建築は難しいと言われました。もちろん難易度は高いものの「日本の土木・建築技術は世界最高であり、品質保証できる」と安藤忠雄氏は話をしています。
  • これだけ巨大な建築物の敷地が神宮外苑でよかったのか!?施工スペースの不足を指摘されていました。部材などの搬入をどうするか、大きなキールアーチは海や川に近ければ船舶利用もできるが神宮外苑にはない。また道路付けも決して良くない。巨大なトラックをどこから入れるのかというそもそもの問題を指摘されていました。北京五輪のメーンスタジアム、通称「鳥の巣」は新国立競技場の2倍の敷地面積があります。
③社会的反響について
  • 建築家 槇文彦氏が論文を寄稿。新国立競技場について批判的な立場を表明しました。これにより建築家や市民団体から計画への反対意見が相次ぐ事態となった。2013年11月槇文彦氏ら4人が東京と文部科学省を訪れ新国立競技場に関する要望書を提出しました。要望書の発起人は25人。賛同者名簿には建築や都市計画の専門家など約80人が名を連ねていました。
  • 要望書では都市景観、安全、維持管理の面から懸念事項を指摘しました。3点の要望。、「外苑の環境と調和する施設規模と形態」「成熟時代にふさわしい計画内容」「説明責任」の3点について要望がなされました。
  • 「緑豊かな神宮外苑に、赤さ70mにも及び巨大施設は似合わない」

他に指摘がある2つの根本的問題

“ザハハディドは犠牲者だった。もともとのデザインの要件となるプログラムが最初からおかしかったのだ。国際的なコンペを開催する場合、設定するプログラムが大切だ。新国立競技場の将来構想有識者会議では、神宮外苑の限られた土地に完全にオーバースケールの有蓋で8万人規模の多目的スタジアムを作ると、国民の知らないうちに決めた。その決定がコンペのプログラムの中核になってしまった。プログラム通りにデザインしなければコンペでは落選してしまう。ザハ案が他のデザイン案に比べてコストがかかってしまったかもしれないが、プログラムに沿ったデザインで後からお金がかかりすぎると騒いでも仕方がなかった。そもそもコンペには建物を整備する周囲にはどのような歴史的背景があるかを理解していない人にもわかるようにプログラムで説明しておく必要がある。新国立の国際コンペでは、そうした準備を一切していなかった。したがって特に海外からの応募者はそれらをまったく理解することができなかった。日本人ならば神宮外苑という土地がどのような場所かある程度は配慮しながらデザインをするこもら可能だった。しかし、海外の設計者は与えられた諸条件のみを満たす建物を設計したことになる。

~2015年8月 建築家 槇文彦氏 インタビューより~

施工予定者にも問題があったとみている。設計の提案にノーが多かった。屋根工区、スタンド工区と2つに分けたのは発注者だ。施工予定者は間に合わないと言っていたが、2社が融通しあえば、工区なんて間に合わないと言う方がおかしい。建築会社同士でJVを組むのは嫌だと言うのは施工側の都合だ。設計者側としては1社の建築会社に引き受けてもらって問題なかった。技術的問題にしてもコストにしても課題を解決してプロジェクトをなんとか実現しようという意思が施工者側には感じられなかった。

~2015年9月 国際デザイン協議審査委員 内藤廣氏 インタビューより~

ザハ・ハディッド新国立競技場が白紙撤回された後

白紙撤回時のザハ・ハディッドの反応

新国立競技場が白紙撤回された後、ザハ・ハディッド事務所は「工期とコストは抑えることができた」と公式に反論しています。

新たなデザイン案の選定過程

2015年8月に再コンペに計2案が応募され、新しいデザイン案として2015年12月に、隈研吾と大成建設の共同提案が選ばれます。

終わりに触れたい3つのこと

「国がたった2500億円も出せなかったのかねという不安はある」

オリンピック組織委員会の森喜朗会長は、「国がたった2500億円も出せなかったのかねという不安はある」とコメントしています。このコメントに対して、こういう感覚では新国立競技場のコスト増加を抑えることは難しかったのだろうという声がありました。私もこのコメントを見た時にそう感じました。

ただ、一方で日本は貧乏になってしまったのではないかという気持ちが心の隅にありました。

敷地からはみ出ていたザハ案

ザハ案の外観パースは、1次審査で公開されたパースは競技場へのアプローチ部分が敷地から恥じだしていたようだ。報道陣から「高速道路などの上に越波っている。実現可能なのか?」という質問が出た。「あくまでも今回はデザイン競技。現実に当てはめると46作品のほとんどがデザイン上、なんらかの修正をしなければならない」とされていたようだ。

私は、基本的にザハ案を採用してほしかった派ではあるのですが、はみ出していたのかというなんとも言えない感情がありました。