もくじ
なぜ大田区役所は立派なビルなのか!?
大田区役所のアクセスと現場
大田区役所は、住所「東京都大田区蒲田5丁目13−14」。JR蒲田駅から1分の好立地に存します。大田区役所は外観から見ても立派ですし、どこか高級感が残っているビルです。それはなぜでしょうか。本日は、現大田区役所の土地の歴史について話をしていきたいと思います。
大田区役所の土地の歴史
大田区役所 大田区役所
現在の大田区役所の敷地は、国鉄・蒲田駅ヤード操車場跡地です。1987年(昭和62年)国鉄による不要財産処分が行われ入札の結果、桃源社という不動産会社が所有権を取得することになります。
本物件の入札は、当初60~100社程度入札希望者が出ていたが、外部からの色々な話があり、結果的には入札参加者は3社になり、桃源社が大差をつけて落札することになります。桃源社は紆余曲折ありながら商業ビルを建築し1992年(平成4年)に完成させますが、バブル崩壊により桃源社が倒産したため、未使用のまま空きビルとして、本物件はそのままの状態が続いていました。
その後、大田区中央2丁目にあった大田区役所が、交通アクセスの不便さと本庁舎建て替え問題が浮上し、桃源社ビルが新庁舎候補となりました。当時、アクセスが良くなるという前向きな意見と、200億円近い税金を投入すべきでないという後ろ向きな意見がありました。最終的には、1996年(平成8年)大田区が桃源社ビルを購入し、大規模修繕の後1998年(平成10年)に区役所の移転が行われました。
参考文献:蒲田戦記より
桃源社(とうげんしゃ)とは!?
桃源社(とうげんしゃ)は、佐々木吉之助(ささききちのすけ)氏が社長を務める不動産会社です。佐々木吉之助氏は、1932年生まれ、慶應義塾大学法学部を経て医学部に入り、1954年に医師国家試験に合格します。1964年32歳で港区神谷町に診療所を開設します。1971年に不動産会社桃源社を設立し、代表取締役社長となります。
桃源社の主軸は、小規模のテナントビルを開発し保有する賃貸ビル業がメインでしたが、バブル崩壊で経営悪化となりました。1996年に住専国会で、住宅金融専門会社の融資先として、証人喚問され、偽証罪などで逮捕され、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けます。2011年に肺炎のため死去しています。
私は、不動産会社に入社して若手のころに、大田区役所跡地の話を聞くことが何度かあり、このあたりの表向きな話は知っていましたが、下記の「蒲田戦記」を読んで色んな立場からこの話を知ることが出来ました。一度読んでみるとためになります。
本庁舎地下の謎のスペースとは何か!?
大田区には長年の悲願として力を入れている「蒲蒲線」整備プロジェクトというものがあります。JR蒲田駅と京急蒲田駅をつなぐ路線です。
この計画を踏まえて、大田区役所本庁舎の地下にはスペースが設けられています。大田区役所は地上10階建地下4階まであります。北側は地下2階までしかなく、その下部は将来鉄道用スペースとされ、トンネルを通しても問題ない建物の躯体となっています。なお、ビル中央付近は地下3階に下水道管が通っており、地下4階には地下街をつくるためにスペースが設けられているようです。
現大田区役所の登記は?
現在の大田区役所の登記簿をみるとどうなっているでしょうか。建物の全部事項証明書を取得し、見てみました。誰でも取得・閲覧できるものですので、簡単に紹介したいと思います。
「昭和63年法務省令第37号附則第2条第2項の規定により」という記載があります。これは、登記簿が紙で作成されていたものをコンピュータに移し替えるという法務局からの指示で移記されているとうことになります。
つまり、取得した謄本では、大田区役所が所有者であることは分かりますが、それ以前の所有者の記載がありませんでした。コンピュータ化による閉鎖謄本まで取得すれば出てくるかと思いますが、今回はそこまで確認は取りませんでした。大田区としても前所有者名を載せたくないというような意図もあるのかもしれませんね。